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紳士服の定番色に隠された「In Town, Never Brown」のタブーと近代の解釈

  • web7455
  • 12月9日
  • 読了時間: 9分


【紳士服の定番色を徹底解説】

なぜ「街で茶色を着るな」と言われたのか?ネイビー、グレー、ブラックが持つ階級と技術の深層


スーツの色の選択は、単なるファッションではなく、数世紀にわたる歴史と技術の集大成です。私たちは紳士服の色彩が持つ壮大な歴史を知る必要があります。ネイビー、グレー、ブラック、ブラウン。この四色に支配された紳士服の歴史は、技術的制約、光の物理的な法則、そして社会的な階級意識が導いた必然の物語であり、特にブラウンにまつわる「In Town, Never Brown」という歴史的なタブーの背景を深く紐解きながら、各色が基軸となった背景を深掘りします。




最高の権威を象徴するブラック:技術的困難と儀礼的な地位


ブラックは、ネイビーやグレーが「公的」な役割を担うのに対し、「権威」や「厳粛さ」といった絶対的な精神性を象徴してきました。その地位の高さは、初期の染色技術の困難さに深く根ざしています。



完璧な「真の黒」の技術的困難さと階級意識


天然染料の時代において、堅牢(色落ちしにくく、光に強い)な「真の黒」を染め出すことは、青や赤よりも遥かに難しく、高コストでした。黒を深く、色落ちしにくく染めるには、媒染剤(Mordant)の技術が不可欠でしたが、鉄塩などの初期の媒染剤はウール繊維を脆くする欠点があり、高度な技術的な熟練度が求められました。この技術的な壁が、完璧な黒を「希少な色」とし、着用を社会の上層階級に限定する一因となりました。燕尾服やタキシードに用いられる上質なウールを均一に黒く染める技術的な熟練度が、黒を「最高のフォーマル」の色として位置づけました。


ヴィクトリア朝による「喪服」と「正装」の絶対的な定着


黒スーツが持つ厳格な意味合いは、19世紀の英国社会の慣習によって決定的に確立されました。英国のヴィクトリア女王がアルバート公の死後、約40年間にわたり喪服を公的な場で着用し続けたことは、社会全体に「厳粛な弔意の規範」としての黒の文化を深く浸透させました。これにより、黒はビジネスウェアとは一線を画す「儀礼的な色」としての地位を不動のものとしました。昼間の公的な服装がネイビーやグレーに移行した後も、最も厳格な夜の正装(イブニング・ドレス)は、燕尾服やタキシードの色を黒またはミッドナイトブルーと定めることで、黒の「絶対的な権威」を保持し続けました。





信頼の色ネイビー:海軍と化学革命が変えた青の歴史


ネイビーは、青が持っていた「階級」の象徴性を、「公的な信頼性」という近代的な価値観に転換させた色です。



英国海軍による「ネイビーブルー」の命名とプロフェッショナリズム


青が紳士服の基軸となった最大の要因は、18世紀後半の英国海軍による制服の公式採用です。当時の軍服の主流は赤(レッドコート)でしたが、青は軍事的な合理性(遠洋での目立ちにくさ)と長期間の航海における汚れの目立ちにくさという合理的な理由から選ばれました。この制服の色が「ネイビーブルー(Navy Blue)」という固有名詞となった経緯は、1748年に海軍本部が正式な制服規定を定め、その色が海軍(Navy)に所属する者が着用する色として認識され始めたことにあります。この海軍という組織の権威が、着用する色に「ネイビー」という名称と「公的な信頼性」という価値を付与したのです。



合成インディゴ革命とネイビーの普遍化


ネイビーが階級の色から「ビジネスの色」へと普及できたのは、19世紀後半の化学技術の飛躍によるものです。かつて高価で職人芸を要した天然インディゴに代わり、1897年にドイツのBASF社が合成インディゴ染料の工業生産を確立しました。これにより、青は安価かつ安定的な品質で供給可能となり、警察、鉄道など社会インフラの制服に広く採用され、ネイビーを普遍的なビジネスカラーへと押し上げました。



ミッドナイトブルーが示す光の物理的優位性


夜の正装における「光学的優位性」が、ネイビーの地位を決定づけました。濃紺であるミッドナイトブルーは、人工照明の下で、純粋な黒が光を吸収しすぎて平坦に見えるのに対し、わずかに青の光を反射することで、生地のドレープを最も豊かに、深く見せるという物理的な優位性を発揮します。このため、夜の正装においてミッドナイトブルーは、黒と並び「最も美しい色」として認識されました。





知性の色グレー:都市環境と王室による昇格の物語


グレーは、「権威」の黒・ネイビーに対し、「知性」や「中立性」という価値観を体現しました。その定着には、産業革命下の都市環境と、英国王室の影響が深く関わっています。



産業革命下の都市環境とグレーの「実用性の勝利」


グレーが広く普及した最大の理由は、19世紀の産業革命による都市環境の変化です。石炭の煙と煤で覆われた都市では、汚れが目立ちにくいという環境的な実用性から、白と黒の混色であるグレーが市民権を得ました。昼間の公的な服装であるフロックコートの威圧感を和らげる色として、グレーのラウンジスーツ(現代スーツの原型)が穏やかで控えめな印象を与える色として台頭しました。



カントリーウェアからの昇格とウィンザー公の影響


グレーがビジネスウェアとしての地位を確立したのは、カントリーウェア(田舎の服装)が持つリラックスした素材感が、都市のファッションに取り入れられた影響が大きいです。20世紀初頭に当時のプリンス・オブ・ウェールズ(後のウィンザー公エドワード8世)が、カントリーウェアの色や柄を積極的に都市の服装に取り入れたことで、グレーを「洗練された知性」の象徴へと昇華させました。特に、王室の狩猟服を起源とするグレンチェックは、クラシックなビジネス柄として定着しています。



中立性の美学と現代ビジネスへの適応性


グレーは、ネイビーの持つ「権威」と黒の「厳粛さ」の中間に位置する「中立性」の美学を体現しています。この中立性が、金融や法律といった伝統的な業界において、思慮深さや協調性を示す色として受け入れられました。明るさの異なる様々なトーンを持つグレーは、季節やTPOに応じて最も柔軟に対応できる色として、現代ビジネスに不可欠な存在となっています。





「In Town, Never Brown」:歴史的な烙印と現代の解放


本記事のタイトルにもあるように、ブラウンは他の三色とは異なり、長きにわたり「反シティ」の色として扱われてきました。その歴史的烙印は、階級意識と地理的な境界に起因します。



時代を隔てた「In Town, Never Brown」に秘められた階級意識


ブラウンが特異な地位を強いられた最大の理由は、ロンドンの金融街シティが課した、鉄の掟にも等しい歴史的なタブーにあります。「In Town, Never Brown(街中では決して茶色を着るな)」。この冷徹な不文律の根幹には、「カントリー(田舎)」と「シティ(都会)」という、当時の英国社会を分断していた厳格な階級と地理的な差別意識が横たわっていました。シティのエリートたちは、その権威と絶対的な信頼性を死守するため、ネイビーやチャコールグレーといった「公的な制服」を纏いました。

一方、ブラウンが連想させたのは、泥にまみれた土壌、すなわち農夫や肉体労働者の階級でした。あるいは、貴族が郊外の私的な領地で遊興に耽る「非公式で怠惰な余暇」の風景です。ブラウンは、まさにシティが最も忌み嫌う「非公式さ」「労働」「田舎臭さ」を象徴する色であり、その着用は「お前は場違いな者である」という烙印を押す行為に等しかったのです。この色の棲み分けは、単なるファッションルールではなく、階級社会の規範を可視化し、秩序を維持するための峻厳な壁として機能していたのです。



アメリカ・イタリア主導によるブラウンの復権と市民権の獲得


ブラウンがこの歴史的な制約から解放されたのは、20世紀後半のファッションのカジュアル化の流れです。アメリカのアイビーリーグスタイルが、キャンパスウェアとしてツイードやフランネルのブラウンを取り入れ、またイタリアが軽快なエレガンスを追求する中で、ブラウンは温かみや柔らかな個性を表現する色として再評価されました。現代では、創造性や柔軟性を示す色として、ネイビーやグレーとは異なる地位を確立しています。





現代への収斂:クラシックカラーの再解釈と進化の考察


20世紀後半から現代にかけて、クラシックな四色はそれぞれの歴史的制約から解放され、より自由で多様な解釈を得ることで、スーツの色彩文化はさらなる深みを増しました。


ネイビーの進化:権威からアズーロのエレガンスへ

英国の「権威のネイビー」という起源を持ちながらも、現代ではイタリアの「アズーロ(空色)のエレガンス」が融合しました。ネイビーは単なる制服の色ではなく、鮮やかで明るいトーンを追求することで、最もファッショナブルで軽快な色へと進化し、現代のネイビーの着用率は歴史上最も高くなっています。


グレーのモダン化:実用性からモダンな知性の象徴へ

グレーは、実用性の起源を持ちながら、2000年代以降のミニマリズムブームの中で、特にチャコールトーンが「モダンな知性」の象徴として再評価されました。生地の光沢を抑え、素材感を強調することで、グレーは伝統と革新を両立させ、IT業界から金融業界まで幅広く支持されています。


ブラックのモードへの移行:厳粛さから創造性への解放

黒は、欧米の伝統的な制約を乗り越え、ジョルジオ・アルマーニや日本のデザイナーたちの影響により、ファッション(モード)の世界で創造性や芸術性を表現する色として確固たる地位を確立しました。礼服という枠を超え、「モードの黒」として認識され、クラシックなスーツのシルエットに、ミニマルで前衛的な要素をもたらしました。


ブラウンの完全な市民権:軽快なエレガンスとの融合

ビジネスのカジュアル化が進んだ現代において、ブラウンはカントリーウェアという烙印から完全に解放されました。現代のブラウンは、ネイビーやグレーにはない温かみや柔らかな個性を表現する色として定着し、特に副資材を排した柔らかな仕立てと組み合わせることで、軽快なシティウェアとして受け入れられています。




色に秘められた技術と文化の集大成が現代のスーツを形作る


黒、ネイビー、グレー、そしてブラウンという四原色は、それぞれ異なる社会的な役割と歴史を背負いながら、現代において「エレガンス、知性、創造性」という新しい価値観で再解釈されています。スーツの色の歴史を理解することは、あなたが選んだ色が持つ、数世紀にわたる技術と社会の叡智、そして現代の美的感覚という深遠な物語を身に纏っていることを知ることに繋がります。この知識は、パーソナルカラーの議論を超え、あなた自身の「色彩の哲学」を確立するための強固な基盤となるでしょう。








執筆者のプロフィール画像
脇山 晃樹 1998年、東京都出身。バンタンデザイン研究所ファッション学部を卒業後、大手紳士服メーカーのオーダー部門で7年間勤務。現在はDrapper Hopeでフィッターとして活動。

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