「スーツとは何を語る服なのか」〜ファッション論から読み解く装いの意味〜③ ジェンダー論から読み解くスーツのあり方
- web7455
- 7月22日
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更新日:8月5日
今知っておくべきジェンダー論
今回は「ファッション論」の中でも、より社会的・文化的な領域に位置する「ジェンダー」をテーマに、現代スーツのあり方を考えていきます。やや硬めの内容にはなりますが、スーツという服を通して、ジェンダーという概念そのものに目を向けていただければ幸いです。
1. スーツは「男らしさ」の象徴?
スーツは長らく「男性的権威」や「理性」、そして「公的な服装」の象徴として機能してきました。20世紀初頭、女性がスーツを着ることはまだ一般に受け入れられておらず、「男性の領域」に属する装いとされていました。
この状況に一石を投じたのが、1930年代の俳優マレーネ・ディートリッヒです。
彼女は映画や舞台において、タキシードをまとい登場し、当時の「女性らしさ」のイメージを鮮やかに覆しました。
それは単なる男装ではなく、ジェンダーという社会的制度を逆手に取ったパフォーマンスであり、スーツをまとう行為そのものが、強い社会的メッセージを帯びていたのです。
2. 演じられるジェンダー:バトラーの視点
哲学者ジュディス・バトラーは、著書『ジェンダー・トラブル』(1990年)の中で、次のように述べています。
「ジェンダーとは、生まれつきの属性ではなく、反復的な行為によって構築されるものである」
つまり、私たちが「女性らしく」「男性らしく」振る舞おうとする所作や言葉遣い、服装そのものが、ジェンダーを演出しているということです。
スーツを着るという行為もまた、単なる身だしなみではなく、ジェンダーの在り方を可視化する装置であるといえます。
3. 意志をまとうための装い
このような視点から見れば、スーツはもはや「男性のための服」ではありません。
たとえば、俳優ティルダ・スウィントンはクラシックなメンズスーツを見事に着こなしながら、性別にとらわれない独特の存在感を体現してきました。彼女の装いはフェミニンともマスキュリンとも言い切れず、その両義性が魅力として際立っています。
また、ヒラリー・クリントンのパンツスーツや、エマ・ワトソンが公式行事で選ぶテーラードスタイルに見られるように、スーツは依然として「知性」や「権威」を印象づける装いであると同時に、誰が、どのように着こなすかによって意味が再構築される、極めて戦略的な衣服でもあります。
4. ジェンダーの「中間地帯」としてのスーツ
現代のスーツは、男性性と女性性という二項対立の枠を超え、その人の在り方や価値観を表現するための手段へと進化しています。
とりわけ、スーツが多様なジェンダー表現に対応する柔軟な装いとして注目されている点は見逃せません。
たとえばデザイナーのトム・ブラウンは、2018年春夏のメンズコレクションで、テーラードジャケットにプリーツスカート、ヒールを合わせたスタイルを打ち出しました。
このコレクションは、「スーツ=男性的な装い」という前提を根底から揺さぶり、
「スーツとは誰のものか」「男性性とは何か」という問いを投げかける、極めて政治的な提案となりました。
興味深いのは、こうしたスカートを男性がまとう表現が、必ずしも現代的な前衛に限られた現象ではないということです。
たとえばスコットランドの民族衣装であるキルトは、何世紀にもわたって男性が着用してきたスカート状の衣服です。それは戦闘時の装いであり、儀式や格式ある場でも着用される男性性の象徴としての歴史を持っています。
つまり、私たちが持つ「スカート=女性のもの」という感覚自体が、文化的に偏った前提であるとも言えるのです。
こうして見ていくと、スーツはもはや「男性の制服」ではなく、ジェンダーの枠を超えて、自分らしさを表現する装いへと変わりつつあることがわかります。
5. あなたにとって、スーツとは何か?
スーツは、単に身体を覆う布ではありません。その人が社会のなかで、「どのように見られたいのか」その意思や立場を語る装いでもあります。
私たちは、スーツを「個性を抑えるための服」としてではなく、むしろ「自己表現を支える衣服」として考えています。
選ばれる生地やシルエット、身にまとう空気感には、その人の価値観やジェンダー観がにじみ出ます。そうしたニュアンスを、丁寧にくみ取り、形にすること。それが、私たち仕立て屋の仕事です。
スーツは、ジェンダーの境界線を越えて生きる「あなた自身」を語る衣服です。どんな自分でいたいのか。どんな姿で社会に立ちたいのか。その一着を、私たちと一緒に考えてみませんか?







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