「スーツとは何を語る服なのか」〜ファッション論から読み解く装いの意味〜④身体論から読み解くスーツの構造
- web7455
- 8月5日
- 読了時間: 5分
「身にまとう」という行為
今回は身体論(ファッションが心体に与える影響)という観点からスーツを考察していこうと思います。ファッション論的用語はそのままに、なるべく読みやすい構成になるよう努めておりますので、最後まで読んでいただけると幸いです。
1.スーツは「心体的理想像」を構築する衣服
19世紀以降のメンズスーツは、身体に沿う服ではなく、身体を規定する服として設計されてきました。肩パッド、ウエストの絞り、パンツのセンタークリースといったディテールはいずれも「社会的に望ましい男性身体像」を視覚的に構築するための記号的要素です。
・肩幅を強調するジャケット→権威・威厳・支配性の表像
・ウエストの絞り→引き締まった理想的男性像(ダヴィデ像的身体)
・パンツの直線性→美的比率・規律性
このように、スーツは着る身体を前提とするのではなく、「あるべき身体のかたち」へと誘導する構造を持っています。
身体はスーツに"収められる"ことで、社会的に持続可能な記号へと変換されるのです。
2.フーコー的視点と服飾の規律機能
ミシェル・フーコーは、近代社会において身体は権力により「可視化・管理・規律化」される対象になると論じました。
フーコーの論じる「規律訓練型身体」は教育・軍事・職場・服装といった社会の規律や権力によって形づくられた身体のことを指します。
衣服もまた、こうした規律の装置のひとつとして、身体を整え、統制し、社会的に「正しい」あり方へと導く役割を担ってきました。
たとえば、19世紀の女性用コルセットは、社会が理想とする「貞淑で従順な女性像」を、物理的に身体へ刻印する制度装置でした。
つまり、衣服は単なる装飾品ではなく、身体に秩序を浸透させる「微細な権力」の媒体として機能しているのです。
同様に、スーツもまた現代において、男性の身体に次のようなかたちで「望ましいふるまい」に導こうとします。
・自然と胸を張り、背筋を伸ばすことを前提とした構造
・身体に沿うシルエットや袖付けが、過剰な動作やだらしない姿勢を控えさせる
・クリースや襟、袖口といったディテールが、着用者に一定の所作や動作の慎重さを促す
こうしたディテールは、単なるスタイルの選択ではなく、社会的に“ふさわしい身体”を構築し、内面化させるための機能が備わっています。
3.スーツは「社会的身体の形成装置」である
社会学者ピエール・ブルデューが提唱した「ハビトゥス」とは、制度や環境、日々の生活や経験を通じて身についた、思考・感覚・ふるまいによって身体的、心理的行動が形成されることを指します。
それは無意識的に身についた「当たり前の感じ方」「自然に出るふるまい」であり、本人は自覚していないことも多いです。
たとえば「どんな服を選ぶか」「どう話すか」「何に価値を置くか」など、日常の細部にその人のハビトゥスが現れます。
スーツもまた、この「ハビトゥスを構成する要素」として機能します。たとえばスーツの着用が日常化した環境では、背筋を伸ばし、無意識にジャケットの裾を気にしながら椅子に座る、動作を小さく保つ──といった所作が、ごく自然な振る舞いとして身についていきます。
つまりスーツは、身体を一時的に「正す」衣服というよりも、社会的な規範や信頼性の感覚を身体に染み込ませる、文化的な“しつけ”の装置なのです。
4.スーツの「選択の自由」を内包する構造
スーツは今なお、「秩序」「信頼」「公共性」といった社会的価値を体現するドレスコードとしての機能を保持しています。しかし近年では、素材選定や構築法、スタイリングの自由度を通じて、身体との調和的関係を育みながら、個人の美意識や感性を託す柔軟な装いのメディアへと進化しています。
現代のスーツスタイルは、以下のようなドレス的変容を通じて、社会の規範性と個の創造性との折り合いを見出そうとしています。
・アンコンストラクテッドやソフトテーラリング:芯地やパッドを最小限に抑え、身体の動きに寄り添いながらも品格あるフォルムを保つ構築法
・多様なテキスタイル選びや色調展開:ウール、リネン、コットン、化繊やストレッチ素材などの選択を通じて、視覚的なアイデンティティを更新し、装う人のパーソナリティを映し出す
このように現代のスーツは、形式と自由のあいだを行き来しながら、装いの中に内在する文化的規範と個の表現とを両立させる、極めて繊細で知的なドレスコードとなっているのです。
まとめ—スーツは「社会的規律」と「自己表現」を内包する身体的メディア
スーツが私たちに与えるのは、「社会的な規律」だけではありません。むしろ、社会という構造の中で、どう自分を位置付けるかを選択できる装置です。
制度的身体を形成する側面(フーコー的視点)と内面化された身体的ふるまいを構築する側面(ブルデュー的視点)とファッション的創意によって自己像を表現する側面(現代モードの視点)これらが緊張しながら共存しているのが今日のスーツという服の本質です。
スーツは「整える」のではなく「調律する」。それは、社会に従わせるための道具ではなく、社会と身体の接点を繊細に調整する知的なメディアなのです。

コメント